Les


   Fleurs


        du


          Mal



















「ようこそ、始まりの地・・・・メンデルへ。」



そう言って、ぽっかり闇が口を開いた様に俺達を待ち構えている開いた扉の向こうから、キラは俺達を優雅に招いた。




























「ちょっと、荒れてるけど我慢してね。表向きは、バイオハザードで廃棄されたってことになってるから。」



カツンカツン、と嫌に自分の足音が響く。汗が首筋を伝って闇に呑まれた床に、堕ちる。喉が鳴る。怖い、と本能が言っている。
此処に、これ以上闇に踏み込んではいけない。そう、全身が警告を発するのに。
キラは何でもないように、笑いながら奥へ奥へと進んでく。その背中が闇の中へと溶け込んでいってしまうようで、手が届かないところへと消えてしまいそうで、
見失わないように見失わないように必死に追いかけた、縋り付く様に。引き止めるかのように。








「ねぇ、アスランには言ってないけど・・・君たちは知ってるの?」




不意にキラが振り向いてたずねた。今気付いたというように、軽く。
俺は意味がわからなくて、後ろにいるシンやレイを見る。すると、レイは顔を青ざめながら憎しみを込めた瞳でキラを睨みつけていた。
シンは戸惑って、それでも苦しそうなレイを横目で見た後、同様にキラを睨みつけながら頷いた。
その様子に、キラは愉快そうに微笑みながらそう、とだけ返した。
レイとシンはあっけに取られて目を丸くしているが、そのキラの微笑みの中に、悲しみが織り交じっていたことに気が付けたのは、きっと俺だけだろう。


小さな、信号。


2年前の戦争が終わってから、キラは泣かなくなった。
それは緋色の少女の願いだったからかもしれないし、もしくはもうキラは泣けないんじゃないかと思った。
それでも、泣かなくても、悲しみや辛さや、感情はあって。
涙を見せなくなったキラは、それから別の方法で俺達に悲しみを伝える。憂いを帯びた瞳で、キラの心はわかってしまう。
これから、キラが伝えようとしていること・・・それはきっとキラを壊して世界すらも呑み込んでしまうような大きな、深い深い闇のようなものなのだろう。
出来ることなら、教えたくないに決まってる。それでも、キラは伝えようとしてくれている。
この地に眠る、恐ろしいものを。人間に、警告を。









キラが、ある扉の前で止まった。
扉には、何か表札のようなものがある。反射的に、その文字を目で追い、呟いた。




「・・・・ユーレン・ヒビ、キ・・・?」




俺には誰だかわからない。でも、その名を俺が呼んだとき、キラの顔に暗い影が落ちたのは、錯覚なんかじゃないだろう。
キラは、冷たい表情で扉を開ける。
ギギギィ・・・と、軋みながら開けられた扉の先はまるで、底のない深い闇のようだった。











その闇は俺達を歓迎するかのように渦巻き、今にも俺達を呑み込もうとしている。
任務で様々なところへ行った。多くの死をこの目で見て、感じてきた。
それでも。
それでも、恐ろしい程此処には人の死が満ち溢れていて。
俺はこのままこの闇に呑まれて消えてしまうんじゃないかと想うほどだ。
薬品特有のきつい匂いが辺りに充満している。この匂いは昔嗅いだ事がある。
幼年学校時代、キラと探検した理科室の―ホルマリンの匂いだ。
此処は一見だが、病院のようなところだしそういった匂いがしても別段おかしくはないだろう。
しかし、その匂いとともに生き物の腐った匂いが俺達を包む。
シンやレイもそれ気付いたようで、レイに至っては青かった顔色がさらに青くなり、今にも倒れそうだ。
前を行くキラを、問い詰めたかった。此処はどういった場所で、何でお前はそんなに悲しく冷たい顔をしているんだ、と。
一歩一歩前に踏み出す足が、やけに重く感じる。足に闇が、人の欲望が絡みつき、俺を闇に引きずり込もうとする。
だから、必死に前を見て、キラの背中を追いかけた。
病院のような場所から、研究施設と一目でわかる処へ来て、キラは俺達を振り返る。




「・・・・此処が、全ての狂気の始まり。人の欲望の結晶が生まれ、そして殺されていった僕らの故郷。」




キラが『故郷』だと言った、その場所の光景に俺は絶句した。言葉が出ない。冷や汗ばかりが首筋を流れる。
辺りは試験管に入った胎児で溢れかえっていた。
まだ人の形にすらなってないもの、まるでごみのように捨てられた幼児達。膨大な量の死体の山、山、山―。
死臭は、彼らから発せられていたのだ。
キラはおもむろに近くの試験管のような機械に近寄り、愛しそうに何度も何度も手で撫でる。
目を細めて、懺悔しているかのように。
今、キラは泣いていない。でも、その心は確実に涙を流しているだろう。そのことが容易に知れた。
抱きしめたかった、無性に。
キラが触れている胎児諸共、此処に巣食う闇ごと、彼を。




「―キ・・・・、」



ラ、と続けようとした言葉は。彼へと伸ばしたこの手は。
背後から聞えた大きな物音に消され、止められ、キラには届かなかった。
慌てて後ろを振り向くと、レイが拳を握り壁を殴ったまま手を付いている。そして、彼はキラを睨みながら叫んだ。



「そんな風に触るなっ!」




レイの様子は異常ともいえるほどだった。目を見開き、全ての憎悪をキラに向けている。
キラは、その眼差しを黙って受け止めている。その表情には何の感情もない。
ただ、黙ってレイの罵倒を聞いている。まるでそれが役目だとでも言うように。
そんなキラの姿に、俺はやりきれなくて疑問ばっか募って。
それでも、レイの叫びは終わらない。




「貴方だけが、未来を約束されたっ!俺達は、貴方のために生み出され、殺されて虐げられ、未来を奪われたんだっ!!
 なのに、なのに・・・・・そんな風に触るな・・・・・っそんな風に、触れるな・・・・・・・」




普段の彼からは想像も出来ないほど激しい、感情。
大体の予想は付く。でも、解らない。俺は、何も知らないから。
シンは多少は知っているようだった。レイの慟哭に、痛ましそうに眉根を寄せる。
興奮しすぎたのか、レイが咳き込む。シンは慌ててレイを支えて顔色を伺った。
ここから見ても、あまりいい状態とはいえない。
肉体的、というよりも精神的なものからくるのだろう。レイは口元を手で覆い、荒い息を吐きながら、それでもキラを睨みつける。



「あなたに・・・、あなたなんか・・・・っに、俺達の気持ちが・・・わかってたまる、か・・・っ!」




その言葉に、今まで無反応だったキラの肩がぴくりと揺れた。
そして、



「・・・・・・じゃあ、キミに一体僕の何が解るって言うの?
 始めからこうだと、そう決められ、力でしかないと言われる僕の、一体何がわかるの?
 生まれたときから血で汚れて汚されて、生まれてからもこの手を血で染めて、それでも生きたいってそう願う僕の、何が君に解るって言うの?」




冷たく厳しい、声だった。俺は今までキラのこんな声を聞いたことがなかった。
いつも、あいつの声は優しくて温かくて、心地よかったのに。
俺は、こんなキラの声を知らない。そう認識した途端、急にキラが恐ろしくなった。
得体の知れないもののようで、これは本当に俺の親友のキラ・ヤマトなのだろうか、と疑問に想うほどに。
それと同時に・・・・・・何故だろう?
何よりも冷たく厳しいその声は同時に、この身を抉る様な悲しい声だ、と。
彼は哭いているのだ、と。



そう、感じた。




































もう、本当は皆
どこかおかしくなってしまえればいい
世界なんて、幼い子供の玩具の様に
砂で作ったお城の様に
壊れてしまえばいいのに